いよいよおかしなことを言ってる気がして仕方がないのだが、なんとか考察を進めたい。
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おさらいしておこう。フーコーにおいて生権力は、まず「殺す権力」に対する「生かす権力」として定義される。前者は、古典主義時代(17世紀)以前の西洋社会において一般的であった権力形態を指す。その典型的な現れは、君主の特権の一つであった「生殺与奪の権」である。もし臣下の一人が君主に反抗して彼の権利を妨害するとしたら、その時君主は臣下の生命に対して直接的な権力を行使することができる。君主=主権者は、臣下の生に対する自らの権利を、殺す権利を行使することで実行するか、あるいはそれを控えるかである。ここでの権力は、「死なせるか、生きるままにしておくか」(死に対する積極的な介入と、生に対する消極的な放置)という形で行使される。
こうした権力のメカニズムは、古典主義時代から19世紀にかけて大きな変更を被る。そこで現れるのは、「生きさせるか、死の中へ廃棄するか」(生に対する積極的な介入と、死に対する消極的な放置)という形で機能する権力である。その主要な役割は、生命を保証し、支え、補強し、増殖させ、それを秩序立てることになる。この「生かす権力」の具体的な形態として17世紀以来現れてきたのが、第一に規律訓育権力の働き(人間身体の運動を計算可能で制御可能なものへと変えようとする力)であり、第二に生-政治学(生殖や死亡率や健康や寿命といった人間の生物学的側面にかかわる全てのプロセスを計算可能で制御可能なものへと変えようとする力)である
(『生の歴史Ⅰ』:171-177)。
と、ここまでは頻繁に引用される著名な箇所だ。簡潔に表現するならば、二つの権力形態(「殺す権力」と「生かす権力」)は、<生/死>に対する「介入/放置(+/-)」に関して反転した働きをなす(殺す権力=生-/死+、生かす権力=生+/死-)。だが、ここで注目したいのは二つの形態における権力の審級の違いである。たとえば、フーコーは19世紀においても「人間が殺される」という事態が減少したわけではないことを強調する。「19世紀以降の時代ほどに戦争が血腥かったことはなかったし、[・・・]体制が自らの住民たちに対してこれほどの大量殺戮を行ったことはなかった」。だが、そこで行われる戦争は「もはや守護すべき君主の名においてなされるのではない。国民全体の生存の名においてなされるのだ。住民全体が、彼らの生存の必要の名において殺しあうように訓練されるのだ。まさに生命と生存の、身体と種族の経営・管理者として、あれほど多くの政府があれほど多くの戦争をし、あれほど多くの人間を殺させたのだ」(『生の歴史Ⅰ』:173)。このように、二つの権力の違いの一つは、王や君主といった名のもとに機能するのか、「住民全体の生存」といった名のもとに機能するのか、という点にある。乱暴に表現すれば、前者は行為主体に対して外在的に働く権力であり、後者は内在的に働く権力である。
ただし、外在的/内在的というのは大雑把な表現であり、丁寧に記述する必要がある。まず、「殺す権力」とは何か。それは、「XがYのためにならないことをしたら、YはXを殺してよい」という命題で定義されるだろう。Xに入るのは任意の人々の集合であり、Yに入るのは「神」「王」「家父長」などの超越的な審級である。この命題は、「XがやることはYのためにならなければならない(少なくともYのためにならないことをしてはならない)、そうである限りにおいてXは生きる価値がある」という命題と同型である。この命題を支えているのは、「Xが何かをやる」ことが可能なのは「Xが生きている」限りにおいてであるという自明の前提であろう。Xの行為の集合は、「Yのためになる」領域とそうでない領域に分割され、Xが後者の領域に該当する行為をなしたとき、Xは殺される。
ここで、Xの<生きて・行為すること>の領域を一つの円としてイメージしていただきたい。超越的審級に基づく「殺す権力」は、この円Xの輪郭に対してその外側から働く。それは、円Xの輪郭がYにとって有益(ないし無害)な領域を超えて拡張した時に円X自体を消去する力を持ち、その排除の力を誇示することによって、円Xの輪郭を制御する。重要なのは、この権力形態は、Yのためにならない行為がなされない限り、Xを「生きるままにしておく」ということである。つまり、「殺す権力」は、円Xの形成過程(つまり、Xが生きて行為する領域が生成変化するプロセス)自体には介入しない(=外在的である)。
これに対して、「生-権力」は円Xの輪郭の外側に立つような超越的審級を必要としない。それは、円Xの形成過程に直接的に介入することによって、円Xの輪郭を間接的に制御する力として働く。この形態の権力は、人々が<生きて・行為していく>プロセス自体に内在的に働きかけるのである。「殺す」権力の場合、権力が行使される起点と終点は「支配する側」と「支配される側」という明確な二項対立をなす。一方、生権力においては、論理的に考える限り、権力の起点も終点も人々の生そのもの(円Xの形成過程自体)でしかありえないだろう。それは、一切の超越的審級が前提とされない権力であり、そこでは、権力の終点だけでなく、始点もまた人々の群生的な生の全局面に求められる。生-権力は、人々のあらゆる実践からブーメランのように円弧を描いて当の実践そのものに突き刺さる。指令を発する中心的機関などは存在せず、相互に異質な諸要素が関係を結ぶときにはいつでも(「一つの点から他の点への関係のあるところならどこにでも」)発生する。にもかかわらず、権力の総体の働きは、その論理において「完全に明晰」であり「目標」も「意図」もはっきりと読み取ることができる。局所的な諸関係から発するこの力は、「互いに連鎖をなし、呼び合い、増大しあい、己れの支えと条件とを他所に見出しつつ、最終的には全体的装置を描き出すところのもの」なのである[『生の歴史Ⅰ』:122-3]。
人々の生の外部に措定された超越的審級から一方向的に下ってくる「殺す権力=超越的権力」と、群生的な生の只中において発生しならがらそれらの生の諸局面に再帰的に働く「生-権力」。しかし、あくまで17~19世紀西洋社会の経験的・制度的事象を参照軸に展開されるフーコーの論述自体においては、ここまで明確な区別をするのは難しいようにも思われる。彼の記述を読む限りでは、人々の身体が規律化されていく局面(とりわけ学校や工場)にも、人口や集団全体の健康が制御されていく局面(統計学や公衆衛生)にも、それを管理運営する特権的な立場に立つ人間や組織の姿を想定することは可能である。この点に的を絞ってフーコーの議論を解釈すれば、人々の身体形成や人口流動をその背後の暗闇から「見まもり・管理する」人々や組織(とりわけそれらを主管する国家行政)を、「支配する側」として再指定することは可能であり、「支配する側」とそれに対する「支配される側(およびのその抵抗)」という従来の権力批判の図式を温存することはできる。フーコーの記述は、その論理的な核だけを注視すれば、こうした図式とは全く異なる。しかし、フーコーに依拠すると称してなされてきた研究の少なくない量が、従来の権力批判の変奏でしかなかったことには理由がないとは言えないだろう。
その原因は、おそらく国民国家という制度の独特な位相に求めることができる。ここで、再び19世紀の戦争についてのフーコーの記述を参照したい。そこでは「国民全体の生存の名において」大量殺戮がなされた。この時に働いている権力の形態を、前述した「殺す権力=超越的権力」の拠点となる命題(「XがやることはYのためにならなければならない、そうである限りにおいてXは生きる価値がある」)と比較可能な形で書き下してみよう。おそらくそれは、「XがやることはXのためにならなければならない、そうである限りにおいてXは生きる価値がある」となるだろう。この命題を通じて、国家は市民の生活に介入していく(市民個々の生存や安全や健康という名において彼らを動員する)。しかし、同時に、この「Xのために」というポイントにおいて、国民国家というシステムは、超越的権力の形式を再召喚するのである。つまり、「X(=国民)のためになること」は「Y(=国家)のためになること」であり、「Y(=国家)のためになること」は「X(=国民)のためになること」である(でなければならない)、という形で、超越的審級(=国家理性)が仮設されるのである。「代表」という概念を核とする、この図式は19世紀においてもいまだ顕在であり、フーコーが「生権力」の論拠として挙げた具体的な諸制度もまたこの図式で解釈することは不可能ではない。しかし、1975-6年のコレージュ・ド・フランス講義(『社会は防衛しなければならない』収)における、徹底したホッブズ批判等を念頭におけば、フーコーの権力論の一つの眼目が、「代表」を介した国家主権=国民主権というモデルの外部に出ることにあったのは確かである。彼は次のように述べている。
「主権理論と、この理論に中心を置いて行われる法典の組織化とによって可能となったのは、規律メカニズムの諸手法を隠蔽するということ、そしてまた、規律のなかに見出されうるはずの支配や支配技術に関するものを消し去るということ、最後にはさらに、国家主権を通じた各人の主権的<法=権利>の行使を各人に保障するということだったのです」
「もろもろの規律的拘束が、支配的メカニズムとして行使されるのと同時に、実際の権力行使として隠されなければならないものとなったときから、主権理論は、法的装置というかたちで生み出され、諸法典によって再活性化され完遂されなければならなくなったのです」
(いずれも前掲書p33)。
つまり、超越的(ないし法的)な権力から内在的な生-権力へといった移行が、ある時点を境に明確に生じたというわけではなく、前者は後者を隠蔽し補完する形で維持されてきたと彼は論じる。この点に留意する限り、フーコーの主眼は、前者へのすり替えによる後者の隠蔽を告発すること、まずもって後者の働きを白日のもとに晒すことにあったのではないか、と思われる。後者の働き、つまり、人々に内在する諸力の齟齬・干渉・更新・組織化の働きを注視し、その只中における可能性として、「抵抗」や「自由」や「合意形成」と名指されながらも国民国家システムの内に還元されてきた諸力を、再設定することにあったのではないか、ということである。
以上のように考える限り、フーコーにおいて「生-権力」とはある意味でポジティブな概念である。もちろん、生-権力を駆動する社会が理想的であるという意味ではない。ここで言うポジティブとは、第一に(認識論的な意味において)、「(19世紀以降の近代-現代社会における)「権力」というものは、超越的、法的、言語的なモデルではなく、内在的なモデルによってこそ、その実相を明確に把握できる」ということであり、第二に(倫理的な意味において)「超越的モデルによる内在的モデルの隠蔽を拒否し、後者を全面的に引き受けることによってこそ、我々がよりよく生きることはいかにして可能かと問うことができる」、ということである。したがって、この二つのテーゼを(そこから何を考えるかは別にして)認めることが、「いま生権力を考える」ということの基本的な条件となる。
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と、今回はここまでにしておこう。「群生的」やら「内在」やら、慣れない言葉をどうにも軽々しく使ってしまった。国民国家に関する扱いも含めて、随分といい加減な話になってる印象も濃い。思わず書いてしまった「再帰的」という語彙もいずれ再検討する必要がある。とはいえ、もとより不慣れな領域なので、できるだけ再利用できる形でまずは言葉を配置することを試みた。記述と問題設定の精緻化がひき続く課題となる。