さんざん疲労しているのでメモだけにする。
今日、思いついた言い方=「ソシュール記号学は、関係論的な記号論であるのに対して、レヴィ=ストロースの象徴的思考(=野生の思考)論はメタ関係論的な記号論である」
①関係論的な記号論(ソシュール)
:ある要素の性質や機能は、その要素が他の要素と取り持つ関係によって規定される。
ex「この(言語学の)領域においては、ものとものとのあいだに打ち立てられる関係が、もの自体よりも先に存在し、もの自体を決定する役割を果たしている」(神話論理学3巻p301で引用されているソシュールの言)
②メタ関係論的な記号論(L=S)
:ある要素aと別の要素bとの関係自体を一つの要素αと見なすならば、要素αの性質や機能は、それが他の要素β(そしてβもまた、ある要素cと別の要素dとの関係自体を一つの要素としてみなしたものであるとする)と取り持つ関係によって規定される。同時に、その規定の働きにおいて、要素a,bの性質や役割もまた規定される。
exトーテミズムにおける<自然種a:自然種b::社会集団c:社会集団d>。換言すれば、自然種間の関係性(α)が社会集団間の関係性(β)に重ねあわされることによって、βの性質や機能が規定される(αもまた)。
①では要素間の関係が要素を規定するのに対して、②では「要素間の関係の間の関係」が要素間の関係(ならびに要素)を規定する。前者に対して後者では次元が上がっている。つまり依然として関係が問題になっているのだが、それは諸関係の関係である。
*②の範例として各種の象徴表現と認知意味論的に解釈されたかぎりでの比喩。いずれ非言語的な範例も探し出しておくこと。
要するに、メモっておきたかったのは、ここで言うメタ関係論的記号論における「要素」というのを、言語以外のあらゆる存在者にあてはめて展開すれば、前エントリーで構想したメタ・アクターネットワーク論になるってこと。というかそもそもラトゥールの「翻訳」とか「命題」といった概念は、ネットワークのある種の重ね合わせとして理解できるんじゃないかとも思う。後は、ストラザーンとかジェルのストラザーン理解における「関係」ってのはけっこうメタ関係論的なんじゃないかとも思う(フラクタル概念とかも関わってきそうだが、違うかも)
とりあえず今日はこんだけで。
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